越後長岡を中心にローカルな食べ物やネタをレポートするB級ブログ
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県内の他の地区はどうなのかは知らないが、長岡における小6の修学旅行の定番といえば会津若松である。
この前の前の戦争で長岡藩と会津藩が同盟関係にあったからなのかも知れない。
でも、厳密に言えば『武装中立』を目論んでいた長岡藩の脇から会津がチョコチョコ官軍(長岡では西軍)にちょっかい出して無理矢理戊辰戦争に巻き込んでくれやがったんですけどね。
まあそんな訳で我が長岡は「戊辰戦争」「大東亜戦争」の二度の戦争で町を焼かれ、今では30万近い人口を持つ地方都市となったものの今やまるで城下町の面影は無し。
三河以来の牧野長岡藩7万4千石の城下町で「北越戦争」では圧倒的な西軍相手に結果として敗れたとはいえ優勢に戦った、との歴史背景をを元に観光地化しようにも観光資源となりそうな街の雰囲気というか、そういったものが残っておりませぬ。
将来の観光地化も視野に入れて復興してたら良かったのかも知れないが、まあ復興できただけでも良しとしなければ。
あ、いや、いきなり話が脱線した。
まあそんなわけで修学旅行の話に戻る。
長岡の小6修学旅行の定番が「会津若松」と書いたが、実はおいらは会津に行った事がない。
別に修学旅行をサボったわけではない。
うちらの学校では、おいらの学年までは会津ではなく日光に修学旅行に行ってたからだ。
当時日光修学旅行のメインイベントといえば「日光東照宮」
通りましたよ「いろは坂」
自殺の名所「華厳の滝」
隣の部屋に殴りこむぜ!「日光刀でチャンバラ」&「枕投げ」
2日目に行った「名産の御影石」だの「足尾銅山」は小学生的にはつまらんかった。
もう20年以上昔の話。
楽しかったような記憶があるんだけど、一個でも年下の友達と話すと奴らはみな会津に行ってやがる。
俺も会津に行ってみたいぜ!
そう思ってました。
そして昨年11月中旬、念願かなって会津に行ってきたので、そのときのレポートを今頃書こうと思います。
2006年11月12日(日)朝
前日、友人のヤスと久しぶりに飲みに行ったときに、酔った勢いで明日会津に行こうぜ!という話になった。
そしてその日は10時頃までには切り上げて帰って寝た。
前日結構飲んだにも係わらず、翌朝は気持ち良く目が覚めた。
布団から起き上がると大きく伸びをして、パジャマのズボンをパンツごとズリ下げひとりごちる。
「ハンケツ王子」
OK、今朝も絶好調だ。
今日も一日楽しい旅になりそうだぜ!
朝から一人で奇行を楽しんでいると、いきなり携帯が鳴り出した。
ヤスからだ。
ふと時計に目をやるともう8時。
約束の時間は8時。
つまり・・・
ヤス「今から迎えにいくよ~。準備できたあ?」
出来てません。今起きたばかりです。
俺「ごめん!あと30分、30分だけ時間をくれ!!」
ヤス「えぇ~。ETC割引使うには9時までに高速に乗らないとだから急いでね」
俺「おK」
速攻でPCの電源を入れ、そのまま風呂に突入。
風呂から上がるとわずかな時間を使い、ネットで会津の美味いものをざっと調べる。
が、ろくすっぽ調べる事もできないうちにヤスが迎えに来た。
仕方ない、後は成り行き任せにするしかない。
てゆうか本当に時間が無い。
急いで中ノ島・見附ICに向かわねば。
8時58分。
まさにギリギリ高速道路入り口を通過。
このまま中ノ島・見附ICから100Km手前の津川ICまで高速道路を、津川から会津若松までは下道を通って向かう。
磐越道の途中、阿賀野川PAにてトイレ休憩。
トイレ後、売店をのぞいていたらサドガシマングッズを発見!
もちろん即購入。これは実に良いおみやげ。
磐越道を津川ICで降り、下道で会津若松に向かう途中「道の駅 よりっせ西会津」にて二度目の休憩。
道の駅の建物に入ろうとすると、「にしあいづミネラル野菜 芋煮汁無料食べ放題」の看板が。
後15分ほどで始まるらしい。せっかくだから喰っていこう。
その前に時間もあることだし道の駅内の売店をのぞいてみよう。
色々な郷土色豊かな物産が並んでいたが、特に気になったのがこれ。
「元祖磐梯サイダー(白・赤・黒三種)」
最近はあちこちで地サイダーがちょっとづつ脚光を浴びつつあると聞いたことがあるけど、こんなところにもあった。
でもなんか今ひとつ気が乗らずに買いそびれてしまった。
あまり残念ではないけど。
またここの道の駅は農産物直売所を兼ねているらしく、農産物マニアな俺のマニア心を激しくくすぐるような農作物や農産加工品がたくさんあった。
その中から運良く写真に収めていた物をいくつか紹介しよう。
左の紫色の物が「赤カブ」右の白いカブに見える物が「紅芯大根」
紅芯大根は真横に切ると、芯の部分を中心に赤身が広がっている大根。
一見カブのように見えるけど大根の仲間。
続いてこちらが「赤ネギ」
赤ネギは確か元々茨城辺りの地野菜だったはずだけど、結構あちこちで作られているみたいだ。
確か去年長岡の直売所でも売っているのを見た覚えがある。
普通のネギよりも甘味があるとの話だが、残念ながらまだ食べた事は無い。
この他にも「ビタミン大根」の名前で「青大根」(青首大根ではない)が売ってたりもして、色々な珍しい野菜を見れて非常に満足した。
まあこうして時間を潰しているうちに芋煮汁の時間が近くなったので外に出た。
外に出るともうすでに芋煮汁の鍋の周囲に人だかりが出来ている。
係りのおいちゃんが「まだ煮えてない!煮えてないよ~。」と静止しているにもかかわらず、無料サービスに弱いおっちゃんおばちゃんらはイナゴの群れのように鍋にたかっていく。
しばらくすると係りのおいちゃんもついに諦めたか「今喰ってもうんまくねえのになあ~ww」と苦笑しながら成り行きにまかせ始めた。
生煮えの野菜を喰うのも嫌だったので、おいら達はしばらく煮えるのを待つ作戦に出たんだけど、待っている間にもどんどん具は減っていき、更に追加で生の野菜の具が追加されていく。
なんだか切が無さそうな様子を見ているうちに、おいら達はとうとう痺れを切らし、イナゴ達の群れに飛び込んで芋煮汁をGetした。
芋煮汁は見ての通り、チープな感じの物。
確かに生煮えだったけど、ちゃんと煮えててもそんなに美味くなったかどうか・・・
「芋煮尻」というより「野菜の具だくさん味噌汁」といった感じだ。
チープな感じの物だが、芋煮汁を喰ったことでなんだか一先ずは満足。
休憩も終わり、これよりノンストップで会津若松市内へと向かう。
『長岡小6修学旅行の定番『会津若松』その2』に続く
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この前の前の戦争で長岡藩と会津藩が同盟関係にあったからなのかも知れない。
でも、厳密に言えば『武装中立』を目論んでいた長岡藩の脇から会津がチョコチョコ官軍(長岡では西軍)にちょっかい出して無理矢理戊辰戦争に巻き込んでくれやがったんですけどね。
まあそんな訳で我が長岡は「戊辰戦争」「大東亜戦争」の二度の戦争で町を焼かれ、今では30万近い人口を持つ地方都市となったものの今やまるで城下町の面影は無し。
三河以来の牧野長岡藩7万4千石の城下町で「北越戦争」では圧倒的な西軍相手に結果として敗れたとはいえ優勢に戦った、との歴史背景をを元に観光地化しようにも観光資源となりそうな街の雰囲気というか、そういったものが残っておりませぬ。
将来の観光地化も視野に入れて復興してたら良かったのかも知れないが、まあ復興できただけでも良しとしなければ。
あ、いや、いきなり話が脱線した。
まあそんなわけで修学旅行の話に戻る。
長岡の小6修学旅行の定番が「会津若松」と書いたが、実はおいらは会津に行った事がない。
別に修学旅行をサボったわけではない。
うちらの学校では、おいらの学年までは会津ではなく日光に修学旅行に行ってたからだ。
当時日光修学旅行のメインイベントといえば「日光東照宮」
通りましたよ「いろは坂」
自殺の名所「華厳の滝」
隣の部屋に殴りこむぜ!「日光刀でチャンバラ」&「枕投げ」
2日目に行った「名産の御影石」だの「足尾銅山」は小学生的にはつまらんかった。
もう20年以上昔の話。
楽しかったような記憶があるんだけど、一個でも年下の友達と話すと奴らはみな会津に行ってやがる。
俺も会津に行ってみたいぜ!
そう思ってました。
そして昨年11月中旬、念願かなって会津に行ってきたので、そのときのレポートを今頃書こうと思います。
2006年11月12日(日)朝
前日、友人のヤスと久しぶりに飲みに行ったときに、酔った勢いで明日会津に行こうぜ!という話になった。
そしてその日は10時頃までには切り上げて帰って寝た。
前日結構飲んだにも係わらず、翌朝は気持ち良く目が覚めた。
布団から起き上がると大きく伸びをして、パジャマのズボンをパンツごとズリ下げひとりごちる。
「ハンケツ王子」
OK、今朝も絶好調だ。
今日も一日楽しい旅になりそうだぜ!
朝から一人で奇行を楽しんでいると、いきなり携帯が鳴り出した。
ヤスからだ。
ふと時計に目をやるともう8時。
約束の時間は8時。
つまり・・・
ヤス「今から迎えにいくよ~。準備できたあ?」
出来てません。今起きたばかりです。
俺「ごめん!あと30分、30分だけ時間をくれ!!」
ヤス「えぇ~。ETC割引使うには9時までに高速に乗らないとだから急いでね」
俺「おK」
速攻でPCの電源を入れ、そのまま風呂に突入。
風呂から上がるとわずかな時間を使い、ネットで会津の美味いものをざっと調べる。
が、ろくすっぽ調べる事もできないうちにヤスが迎えに来た。
仕方ない、後は成り行き任せにするしかない。
てゆうか本当に時間が無い。
急いで中ノ島・見附ICに向かわねば。
8時58分。
まさにギリギリ高速道路入り口を通過。
このまま中ノ島・見附ICから100Km手前の津川ICまで高速道路を、津川から会津若松までは下道を通って向かう。
磐越道の途中、阿賀野川PAにてトイレ休憩。
トイレ後、売店をのぞいていたらサドガシマングッズを発見!
もちろん即購入。これは実に良いおみやげ。
磐越道を津川ICで降り、下道で会津若松に向かう途中「道の駅 よりっせ西会津」にて二度目の休憩。
道の駅の建物に入ろうとすると、「にしあいづミネラル野菜 芋煮汁無料食べ放題」の看板が。
後15分ほどで始まるらしい。せっかくだから喰っていこう。
その前に時間もあることだし道の駅内の売店をのぞいてみよう。
色々な郷土色豊かな物産が並んでいたが、特に気になったのがこれ。
「元祖磐梯サイダー(白・赤・黒三種)」
最近はあちこちで地サイダーがちょっとづつ脚光を浴びつつあると聞いたことがあるけど、こんなところにもあった。
でもなんか今ひとつ気が乗らずに買いそびれてしまった。
あまり残念ではないけど。
またここの道の駅は農産物直売所を兼ねているらしく、農産物マニアな俺のマニア心を激しくくすぐるような農作物や農産加工品がたくさんあった。
その中から運良く写真に収めていた物をいくつか紹介しよう。
左の紫色の物が「赤カブ」右の白いカブに見える物が「紅芯大根」
紅芯大根は真横に切ると、芯の部分を中心に赤身が広がっている大根。
一見カブのように見えるけど大根の仲間。
続いてこちらが「赤ネギ」
赤ネギは確か元々茨城辺りの地野菜だったはずだけど、結構あちこちで作られているみたいだ。
確か去年長岡の直売所でも売っているのを見た覚えがある。
普通のネギよりも甘味があるとの話だが、残念ながらまだ食べた事は無い。
この他にも「ビタミン大根」の名前で「青大根」(青首大根ではない)が売ってたりもして、色々な珍しい野菜を見れて非常に満足した。
まあこうして時間を潰しているうちに芋煮汁の時間が近くなったので外に出た。
外に出るともうすでに芋煮汁の鍋の周囲に人だかりが出来ている。
係りのおいちゃんが「まだ煮えてない!煮えてないよ~。」と静止しているにもかかわらず、無料サービスに弱いおっちゃんおばちゃんらはイナゴの群れのように鍋にたかっていく。
しばらくすると係りのおいちゃんもついに諦めたか「今喰ってもうんまくねえのになあ~ww」と苦笑しながら成り行きにまかせ始めた。
生煮えの野菜を喰うのも嫌だったので、おいら達はしばらく煮えるのを待つ作戦に出たんだけど、待っている間にもどんどん具は減っていき、更に追加で生の野菜の具が追加されていく。
なんだか切が無さそうな様子を見ているうちに、おいら達はとうとう痺れを切らし、イナゴ達の群れに飛び込んで芋煮汁をGetした。
芋煮汁は見ての通り、チープな感じの物。
確かに生煮えだったけど、ちゃんと煮えててもそんなに美味くなったかどうか・・・
「芋煮尻」というより「野菜の具だくさん味噌汁」といった感じだ。
チープな感じの物だが、芋煮汁を喰ったことでなんだか一先ずは満足。
休憩も終わり、これよりノンストップで会津若松市内へと向かう。
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プロフィール
HN:
じん
性別:
男性
職業:
八百屋(青果物仲卸)
自己紹介:
新潟県長岡市の青果仲卸業・カネヘイ青果の中の人。
仕事の事はあんまり書いてないです。
「酒の進むこと風の如く、
すぐ寝つくこと林の如く、
鯨飲すること火の如く、
泥酔すること山の如とし」
仕事の事はあんまり書いてないです。
「酒の進むこと風の如く、
すぐ寝つくこと林の如く、
鯨飲すること火の如く、
泥酔すること山の如とし」
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