越後長岡を中心にローカルな食べ物やネタをレポートするB級ブログ
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4月下旬の日曜日、以前噂に聞いてた燕市(旧分水)の酒呑童子(しゅてんどうじ)神社の探索に行ってきました。
酒呑童子の名は昔話で平安時代に都を荒らしまわった鬼の頭領の名前として耳にした覚えがありますが(大江山の鬼)、新潟にその由縁があるとは不覚にも今まで知りませんでした。
『酒呑童子』
酒呑童子(しゅてんどうじ)は、京都と丹波国の国境の大枝(老の坂)に住んでいたとされる鬼の頭領(盗賊であったとも)である。他の呼び名として、酒顛童子、酒天童子、朱点童子と書くこともある。室町時代の物語を集めた『御伽草子』などによると、酒呑童子の姿は、顔は薄赤く、髪は短くて乱れた赤毛、手足は熊の手のようで、背丈が6m以上で角が5本、目が15個もあったといわれる。彼が本拠とした大江山では龍宮のような御殿に棲み、数多くの鬼達を部下にしていたという。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
まあそんなわけで酒呑童子神社近くの道の駅国上(くがみ)に来ました。
こちらの売店で酒呑童子神社に奉納する絵馬が売っている(500円)ので、あらかじめここで購入していくのが良いかもしれません。
道の駅の裏手には無料で浸かれる足湯『酒呑童子の湯』があります。
まあ僕はタオルを用意してくるのを忘れたので入りませんでしたが。
酒呑童子の名は昔話で平安時代に都を荒らしまわった鬼の頭領の名前として耳にした覚えがありますが(大江山の鬼)、新潟にその由縁があるとは不覚にも今まで知りませんでした。
『酒呑童子』
酒呑童子(しゅてんどうじ)は、京都と丹波国の国境の大枝(老の坂)に住んでいたとされる鬼の頭領(盗賊であったとも)である。他の呼び名として、酒顛童子、酒天童子、朱点童子と書くこともある。室町時代の物語を集めた『御伽草子』などによると、酒呑童子の姿は、顔は薄赤く、髪は短くて乱れた赤毛、手足は熊の手のようで、背丈が6m以上で角が5本、目が15個もあったといわれる。彼が本拠とした大江山では龍宮のような御殿に棲み、数多くの鬼達を部下にしていたという。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
まあそんなわけで酒呑童子神社近くの道の駅国上(くがみ)に来ました。
こちらの売店で酒呑童子神社に奉納する絵馬が売っている(500円)ので、あらかじめここで購入していくのが良いかもしれません。
道の駅の裏手には無料で浸かれる足湯『酒呑童子の湯』があります。
まあ僕はタオルを用意してくるのを忘れたので入りませんでしたが。
足湯のさらに裏手の広場の遊歩道を裏の山の方に歩いていきます。
ちょうどこの頃、桜が咲いてました。
まだ満開になる一歩手前くらいだったかな?
ところにより満開、って感じで。
やがて五重塔が見えてきました。
酒呑童子神社手前に、この地に伝わる酒天童子伝説の案内がありました。
へぇ~、羅生門の鬼で有名な茨木童子も古志郡軽井沢(旧栃尾市・現長岡市軽井沢)出身だったのか。
酒呑童子といい茨木童子といい、昔話でメジャーな鬼が地元出身だったとは面白い。
上の写真の案内とはストーリーが若干異なるけど、wikiにあった酒呑童子の出生伝説の項目を貼っておきます。
越後国の酒呑童子出生伝説 [編集]
伝教法師や弘法大師が活躍した平安初期(8世紀)に越後国で生まれた彼は、国上寺(新潟県燕市)の稚児となった(国上山麓には彼が通ったと伝えられる「稚児道」が残る)。
12, 3歳でありながら、絶世の美少年であったため、多くの女性に恋されたが全て断り、彼に言い寄った女性は恋煩いで皆死んでしまった。そこで女性たちから貰った恋文を焼いてしまったところ、想いを遂げられなかった女性の恨みによって、恋文を燃やしたときに出た煙にまかれ、鬼になったという。そして鬼となった彼は、本州を中心に各地の山々を転々とした後に、大江山に棲みついたという。
一説では越後国の鍛冶屋の息子として産まれ、母の胎内で16ヶ月を過ごしており、産まれながらにして歯と髪が生え揃い、すぐに歩くことができて 5~6歳程度の言葉を話し、4歳の頃には16歳程度の知能と体力を身につけ、気性の荒さもさることながら、その異常な才覚により周囲から「鬼っ子」と疎まれていたという。『前太平記』によればその後、6歳にして母親に捨てられ、各地を流浪して鬼への道を歩んでいったという[2][3]。また、鬼っ子と蔑まれたために寺に預けられたが、その寺の住職が外法の使い手であり、童子は外法を習ったために鬼と化し、悪の限りを尽くしたとの伝承もある[3]。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
酒呑童子が外道丸時代に修行した国上寺(こくじょうじ)はこの国上山(くにがみやま)の上にあるみたいです。
平安時代から今に残る古寺ってのもなんかいいですね。
遊歩道も整備されてるみたいだし展望台もあるみたいだから今度登って来ようかな。
まあそれはともかく酒呑童子神社前までやってきました。
しかしなんですね、良く考えると鳥居(神道)の向こうに五重塔(仏教)ってのもなかなかシュールな光景ですね。
まあ宗教の壁が曖昧なのも日本的で良いです。
賽銭箱置いてある寺とかありますしね。
それはともかく酒呑童子神社は縁結びの神様らしいです。
これは全力でお祈りせねば!
なおこの酒呑童子神社の由来はこの通り。
実はこの神社、地元旧分水町の商工会青年部の異業種交流会が何年か前に建立したものらしいです。
昔からあるものではなく、割と最近作られた神社で縁結びの由来も酒呑童子の御霊から旧分水町異業種交流会にそういった御宣託があったと無理矢理こじつけ説明されています。
そんなわけでこの五重塔も何年か前に地元商工会青年部の大工さんが建てた物だとゆう話しも弥彦の友人から聞いてました。
それでも思ってたよりも本格的な、昔っぽい雰囲気のある作りになってます。
まあ、さすがに土台のコンクリートを見れば近年作られたものだとわかりますが。
五重塔の大黒柱?が土台の石に接地してないのは何のためなんだろう?
まあ設計ミスとかでなくてそういった工法なんだろうけど。
五重塔の左隣にある小さな祠が酒呑童子神社本体になります。
ここの賽銭箱にお金を入れて恋人ができるようにお祈りします。
僕ももちろん全力でお祈りしてきました。
これでもうすぐ彼女ができるに違いありません。
祠の脇には絵馬を掛けるところもありましたが、道の駅の売店で買ってくるのを忘れたので諦めました。
今度来た時に絵馬を書いて奉納したいと思います。
あと、おみくじとかあったら友達同士で来た時に盛りあがって良いと思う。
祠の上にあった外道丸時代の酒呑童子の肖像。
昔の絵巻っぽく書いてあるけど、正直今の時代ならもうちょっと女性受けする絵の方が良いんじゃないかなぁ?
どうせ最近色々こじつけて作った縁結び神社なら、いっその事もっとカオスな方向に突き抜けたほうが良い感じになるんじゃないかと思う。
いやまあ、その方が個人的に面白いってだけですがね。
道の駅まで戻る道すがら、公園内の池の周辺を歩いたり満開の桜を撮ったりしながらゆるゆる帰りました。
昼飯に道の駅の売店で買った味噌おにぎり。
海で喰おうと思ってたら、写真を撮る時に車の屋根に置いたまま忘れて危うくそのまま走り出すところだった。
車の屋根におにぎり乗せたまま走る自分の車を想像して、ちょっと笑った。
道の駅「国上」・酒呑童子神社
新潟県燕市国上5866-1
大きな地図で見る
ちょうどこの頃、桜が咲いてました。
まだ満開になる一歩手前くらいだったかな?
ところにより満開、って感じで。
やがて五重塔が見えてきました。
酒呑童子神社手前に、この地に伝わる酒天童子伝説の案内がありました。
へぇ~、羅生門の鬼で有名な茨木童子も古志郡軽井沢(旧栃尾市・現長岡市軽井沢)出身だったのか。
酒呑童子といい茨木童子といい、昔話でメジャーな鬼が地元出身だったとは面白い。
上の写真の案内とはストーリーが若干異なるけど、wikiにあった酒呑童子の出生伝説の項目を貼っておきます。
越後国の酒呑童子出生伝説 [編集]
伝教法師や弘法大師が活躍した平安初期(8世紀)に越後国で生まれた彼は、国上寺(新潟県燕市)の稚児となった(国上山麓には彼が通ったと伝えられる「稚児道」が残る)。
12, 3歳でありながら、絶世の美少年であったため、多くの女性に恋されたが全て断り、彼に言い寄った女性は恋煩いで皆死んでしまった。そこで女性たちから貰った恋文を焼いてしまったところ、想いを遂げられなかった女性の恨みによって、恋文を燃やしたときに出た煙にまかれ、鬼になったという。そして鬼となった彼は、本州を中心に各地の山々を転々とした後に、大江山に棲みついたという。
一説では越後国の鍛冶屋の息子として産まれ、母の胎内で16ヶ月を過ごしており、産まれながらにして歯と髪が生え揃い、すぐに歩くことができて 5~6歳程度の言葉を話し、4歳の頃には16歳程度の知能と体力を身につけ、気性の荒さもさることながら、その異常な才覚により周囲から「鬼っ子」と疎まれていたという。『前太平記』によればその後、6歳にして母親に捨てられ、各地を流浪して鬼への道を歩んでいったという[2][3]。また、鬼っ子と蔑まれたために寺に預けられたが、その寺の住職が外法の使い手であり、童子は外法を習ったために鬼と化し、悪の限りを尽くしたとの伝承もある[3]。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
酒呑童子が外道丸時代に修行した国上寺(こくじょうじ)はこの国上山(くにがみやま)の上にあるみたいです。
平安時代から今に残る古寺ってのもなんかいいですね。
遊歩道も整備されてるみたいだし展望台もあるみたいだから今度登って来ようかな。
まあそれはともかく酒呑童子神社前までやってきました。
しかしなんですね、良く考えると鳥居(神道)の向こうに五重塔(仏教)ってのもなかなかシュールな光景ですね。
まあ宗教の壁が曖昧なのも日本的で良いです。
賽銭箱置いてある寺とかありますしね。
それはともかく酒呑童子神社は縁結びの神様らしいです。
これは全力でお祈りせねば!
なおこの酒呑童子神社の由来はこの通り。
実はこの神社、地元旧分水町の商工会青年部の異業種交流会が何年か前に建立したものらしいです。
昔からあるものではなく、割と最近作られた神社で縁結びの由来も酒呑童子の御霊から旧分水町異業種交流会にそういった御宣託があったと
そんなわけでこの五重塔も何年か前に地元商工会青年部の大工さんが建てた物だとゆう話しも弥彦の友人から聞いてました。
それでも思ってたよりも本格的な、昔っぽい雰囲気のある作りになってます。
まあ、さすがに土台のコンクリートを見れば近年作られたものだとわかりますが。
五重塔の大黒柱?が土台の石に接地してないのは何のためなんだろう?
まあ設計ミスとかでなくてそういった工法なんだろうけど。
五重塔の左隣にある小さな祠が酒呑童子神社本体になります。
ここの賽銭箱にお金を入れて恋人ができるようにお祈りします。
僕ももちろん全力でお祈りしてきました。
これでもうすぐ彼女ができるに違いありません。
祠の脇には絵馬を掛けるところもありましたが、道の駅の売店で買ってくるのを忘れたので諦めました。
今度来た時に絵馬を書いて奉納したいと思います。
あと、おみくじとかあったら友達同士で来た時に盛りあがって良いと思う。
祠の上にあった外道丸時代の酒呑童子の肖像。
昔の絵巻っぽく書いてあるけど、正直今の時代ならもうちょっと女性受けする絵の方が良いんじゃないかなぁ?
どうせ最近色々こじつけて作った縁結び神社なら、いっその事もっとカオスな方向に突き抜けたほうが良い感じになるんじゃないかと思う。
いやまあ、その方が個人的に面白いってだけですがね。
道の駅まで戻る道すがら、公園内の池の周辺を歩いたり満開の桜を撮ったりしながらゆるゆる帰りました。
昼飯に道の駅の売店で買った味噌おにぎり。
海で喰おうと思ってたら、写真を撮る時に車の屋根に置いたまま忘れて危うくそのまま走り出すところだった。
車の屋根におにぎり乗せたまま走る自分の車を想像して、ちょっと笑った。
道の駅「国上」・酒呑童子神社
新潟県燕市国上5866-1
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プロフィール
HN:
じん
性別:
男性
職業:
八百屋(青果物仲卸)
自己紹介:
新潟県長岡市の青果仲卸業・カネヘイ青果の中の人。
仕事の事はあんまり書いてないです。
「酒の進むこと風の如く、
すぐ寝つくこと林の如く、
鯨飲すること火の如く、
泥酔すること山の如とし」
仕事の事はあんまり書いてないです。
「酒の進むこと風の如く、
すぐ寝つくこと林の如く、
鯨飲すること火の如く、
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